かなり更新が滞ってしまい申し訳ありません。前回のブログ「エスペランサの赤ちゃん」でご紹介した美樹ちゃんは、今月の10日にめでたく1歳を迎えます!
美樹ちゃんはひいおばあちゃんに育てられていますが、皆様からの応援募金に支えられて、すくすくと元気に育っています。ありがとうございます。アシャンテママの近くに住んでいることもあり、よく遊びに来るそうです。
《さやかさんを応援する会》代表の河田は、アシャンテママとさやかさんの諸活動を、絵本や紙芝居を使って読み聞かせする活動を、地元の小学校などで実施しております。
このたびエスペランサと美樹ちゃんをモチーフに、一冊の絵本《ミキはアフリカ生まれの赤ちゃん》としてまとめ、これを朗読したものを動画として公開いたしましたました(5/28 改定版)。
絵本制作に多大なるご協力を頂いた吉野様、この場を借りてお礼申し上げます。
※YOUTUBEで直接ご覧いただく場合: ミキはアフリカ生まれの赤ちゃん
またこの絵本は、下記よりPDF形式にてダウンロードしてお読み頂けます。
PDF版絵本《ミキはアフリカ生まれの赤ちゃん》
● ファイル名:miki_is_a_baby_in_africa_ver2.pdf
● ファイル形式:PDFファイル(約2MB)
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5月初頭、モザンビークのアシャンテママに通っていたエスペランサが、女の子の赤ちゃんを出産しました。彼女はまだ15〜16歳ですが、現地では年若くして母になることは珍しくありません。
しかし残念ながら、エスペランサはこの出産で命を落としてしまいました。
そして生まれた赤ちゃんは父親から自分の子供として認めてもらえませんでした。悲しい現実ですがこれもよくあることのようです。
さらにエスペランサのお母さんもすでに他界しているため、これからこの赤ちゃんを育てるのは70歳位のおばあちゃん(赤ちゃんの曾祖母)となりました。
エスペランサの葬儀に立ち会ったさやかさんは、薄暗い部屋のなかでボロボロの布でくるまれた赤ちゃんを、おばあちゃんから手渡されました。そして「名前を決めてほしい」と頼まれました。
赤ちゃんは《美樹 MIKI》と命名されました。
おばあちゃんの希望で日本の名前を授けることになり、その意味は「Beautiful Tree」と伝えました。おばあちゃんはとても喜んでくれました。
エスペランサが亡くなってしまったことは、とてもとても悲しい出来事でしたが、彼女が繋いだ新しい命を祝福し、元気に育つことを心より願っています。アシャンテママでも支援を継続していく予定で、応援会としても見守っていきたいと思います。
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当初予定の3ヶ月から6ヶ月に伸ばしました。
運営延長許可書や滞在証明書など、
いくつもの政府関連書類を申請し受理してもらう必要あります。
またアシャンテママ関連でも多くの問題があるので、
それを解決するために日々奮闘しています。
そんな忙しいなか、さやかさんが動画を送ってくれました。
授業と給食のシーンです!
子供達が幸せそうで見ているほうも楽しくなります!
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アシャンテママの活動の一部に、公立の小学校に通うための支援があります
モザンビーク政府が運営し無料で通える小学校がありますが、入学するためには身分証明書が必要です。そして身分証明書を取得するためには、身分証明書を持っている保証人が2人必要です。
仮に保証人が見つかっても、独立戦争や内戦で十分な教育を受けることができなかった人は、普段はヤオ語などの現地語で生活しています。そのため公用語であるポルトガル語の読み書きができないので、登録用紙に必要事項を記入することができません。
また、身分証明書を発行するためには、登録用紙代 約30円必要ですが、その日に食べるものを買うお金さえ手に入れるのが難しいので、これを工面するのは大変です。
そのため、アシャンテママでは身分証明書の発行支援をしています。
誕生日のわからない子の保護者から何年前くらいのどんな季節に生まれたのか聞き、子供からは好きな数字を聞き、その子の生年月日を決めたり、必要事項を記入します。
登録用紙代の支払いには皆様からのご寄付を使用させていただいています。
ご支援をありがとうございます。
小学校に通うための鉛筆やノート、それを入れる袋もプレミオとして渡しています。
高学年になると制服着用の義務があります。制服代の1400円は大金なので、数か月分のプレミオとして渡すことにも寄付金を使わせていただいています。
余談ですが、公務員の給料も約6000円と安く、進級のために賄賂や性交を求められることもよくあるそうです。さやかさんが今、ビザの更新で苦戦している移民局でも、平然と髪留めやバックなどをねだられています。
さやかさんのブログに青い制服を着ているグラッサの写真があります。グラッサは幼いころに両親を亡くし親戚の間をたらいまわしになっていた女の子で、アシャンテママができたころから通っています。
現在グラッサは公立の学校に通う小学6年生ですが、給食やプレミオがあるアシャンテママにも通っていて、頑張って勉強しています。
グラッサはプレミオで渡した制服を小学4年生から着ていたのですが、その制服を含めて干していた洗濯物をすべて盗まれたことがあり、大変ショックを受けていたので、もう一度プレミオで渡しました。
すべて皆様からのご寄付を活用しています。ありがとうございます。
さやかさんが帰国したとき、子供たちから日本の支援者に宛てた手紙を預かってくる時があります。翻訳したのもを、ご住所が分かる支援者の方々に送らせていただきましたが、その中にグラッサの写真と彼女の手紙がありました。当時のグラッサは4年生だけれど、なんだか大人びていますね。
日本の皆さんへのお手紙
すべてのことについてお礼を伝えたいです。
私はしっかり勉強しています。
私はいろいろなことが好きです。
でも、私は今の家族はあまり好きではありません
私の家族は私に対してあまり良い接し方をしてくれません。
私は勉強することがとても好きです。
私はアシャンテママの学校が大好きです。
先生たちのことが好きで先生たちはしっかり教えてくれます。
マニュエル先生は算数をしっかり教えてくれて、
アイーデ先生は国語をしっかり教えてくれて、
デルフィン先生は理科をしっかり教えてくれます。
アシャンテママは私をとても助けてくれて、
制服や食べ物や服 いろんなものを今までいただいて私はとても感謝しています。
制服を私は盗まれてしまってとても悲しかったです。
グラッサ マシャカ モザンビーク
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3月18日。本日は栗山さやかさんの誕生日です。
「さやかさん、おめでとうございます!」
さやかさんは現在、モザンビークに滞在中で、毎日アシャンテママの活動で忙しくしています。
きっと自分の誕生日なんて忘れていることでしょう。
応援会代表の河田さんは、さやかさんと同じ静岡県立池新田高校を卒業しています。
現在、さやかさんの活動を多方面からサポートしていますが、その一環として、
アシャンテママがどのような活動をしているのか、地元の小学校に出向いて、
写真を使って読み聞かせをしています。
このたび、その写真を一般向けに動画として再編集し公開いたしました。
さやかさんがアシャンテママの活動を始めたいきさつから、
活動内容までを、約10分程度にまとめています。
応援会HPの「さやかさんの紹介」ページで見ることができますが、
こちらにも掲載しておきます。
もうひとつ、アシャンテママの子供達の様子をまとめた動画も、
応援会HPの「アシャンテママの活動内容」に掲載しています。
よかったらご覧ください。
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栗山さやかさんは2月24日にドイツからモザンビークのマプトへ発ち、さらに空路でモザンビーク北部のリシンガに向かいました。そして26日の夜遅くに「無事到着しました」との連絡を受けました。
いつもは隣国マラウィから陸路でモザンビーク北部に入国するのですが、雨季のため道路事情が悪く断念、ただこのルートは危険も伴うので、今回は空路を選び安心でした。
それでもマプトの空港で入国時にトラブルがあり、しばし足止めを食らったようですが、無事アシャンテママの村に到着できて良かったです。
今回は約3ヶ月強の長期滞在で、オランダに戻るのは6月初旬を予定しています。現地は通信状況があまりよくないのでプラ子ブログの更新が少なくなると思いますが、写真が届いたらアシャンテママの活動の様子をこちらでも報告したいと思います。
みなさまには滞在中の安全と活躍を見守っていただきたく、よろしくお願い申し上げます。
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遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。
とうとう平成最後の年=日本にとっては変化の年ですが、アシャンテママにとっても大きな変化=進歩となる年にできたらと思います。昨年11月に日本のNPOとして登記し、今年から本格的な活動が始まりますが、応援会としてもNPOと連携して、さやかさんの活動をこれまで以上にしっかりサポートできたらと考えております。皆様からのご支援・応援が活動の大きな原動力となっています。どうぞお力添えのほどよろしくお願い申し上げます。
さやかさんのブログ《プラ子旅する》では年始の挨拶「2019年明けましておめでとうございます」が投稿され、さやかさんが御前崎の学生時代に着ていたユニフォームやジャージを、アシャンテママの子供たちが嬉しそうに着てくれているエピソードが紹介されました。とても微笑ましい内容です。
また先日のブログ「お正月にお米を渡したときの動画と写真」では、最近のアシャンテママの子供たちの様子を、機器に慣れないルーシアさんが頑張ってマニュエル君が撮影してくれた動画が掲載されています(ルーシアさんは動画に登場してました!)。こちらにも載せておきます。
お米を手にして大喜びする子供たちの姿がとても感動的です。私にとっても主食となる米は大事ですが、あまりに普通にあり過ぎて喜ぶことを忘れてしまってます。この動画を観て、食べ物への感謝の気持ちをもっと大切にしたいと思いました。
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2018年最終日になりました。
皆さんはどんな一年を過ごされたでしょう。
さやかさんは
娘ちゃんを連れて里帰りでき
NPO法人を立ち上げたり
アフリカにも2度行くことができました。
風邪をひいて体調を崩したりしましたが
今は引っ越し準備であわただしく過ごしています。
ルーシアさんたちがよく言っているという
「アシャンテママがなかったら
私はどうなっていたかわからないです。
本当にありがたくて」
これはさやかさん一人の力でではなく、応援して下さる皆様のお陰です。
本当にありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
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さやかさんのブログが更新されました。
9年前、29歳のさやかさんは「日本で過ごした子供の頃とは比べものにならない、過酷な人生を送っている女性や子供たちに、ほっとできる気持ちと場所を」という思いから、モザンビークで現地NPO《アシャンテママ》を立ち上げました。
貯蓄がなくなり運営ができなくなることを心配し、富裕層の子供たちが通う学校で英語を教えるアルバイトをして、生活費を最低限にまで削って過ごしていましたが、2012年に医療学校に通うようになってからは、唯一の収入源であるアルバイトもできなくなりました。
そんなさやかさんを心配して、2013年7月に立ち上げたのが私、河田が代表をさせていただいている《さやかさんを応援する会》です。そして《さやかさん応援募金》という口座を作り実質的な支援活動をスタートさせました。
この口座には皆様からたくさんのご寄付をいただきました。今もさやかさんがアシャンテママの活動を続けることができているのは、皆様からのご支援があったからだと感謝しています。
ありがとうございました。
2016年2月、さやかさんが二度目の帰国をした際に《アシャンテママ日本支部》口座を新たに作成しました。これをメインの口座として、こちらへのご寄付の全額をアシャンテママの運営費として活用させていただくことになりました。
また《さやかさん応援募金》口座へのご寄付については、半分を運営費、半分をさやかさんの安全・健康・研修などに使わせていただくことにしました。(さやかさんの結婚後、2017年からは振込欄に「さやかさんへ」と記載されているもの以外は全額運営費にしています。)
さやかさんは「皆様のご寄付に支えられて活動を続けられている」といつも感謝して、ずっと無給で働いてきました。そのため「自分宛にいただいたお金は、アシャンテママの活動費がなくなったら使わせてもらいます」と頑なでした。しかし、そのお金があったからこそ、モザンビークが内戦状態になったときや、出産のための移動費もまかなえたのだと思います。
本当にありがとうございました
ずっと独りで過ごしてきたさやかさんですが、今では家族を持つことができ、子育てをしながらアシャンテママの活動を続けています。そんなさやかさんが、これからはより効率的に活動と生活ができることを願って、このたび日本においてNPO設立に至りました。アシャンテママの活動を法人としてサポートすることで、さやかさんの負担が減るだろうとホッとしています。
私と応援会メンバーの武藤さんもNPOのスタッフになっていますが、応援会だからこそ出来るサポートもあると思います。そのため《さやかさんを応援する会》は、今後もできる限り継続していこうと考えています。そして応援会にいただいたご寄付は、NPOを通してアシャンテママの活動のために使わせていただきます。これからも一緒に応援していただけると嬉しいです。
ここからは、応援会ホームページ(2017年新設)の《さやかさんの活動》を見ながら、さやかさんのこれまでの人生を、私の目線で振り返ってみたいと思います。
2006年
御前崎でご近所にお住まいのさやかさんのお父さんから、「外国に行っている娘が mixi日記をやっている」と教えてもらったのが、私がさやかさんを知るきっかけでした。ヨーロッパを旅していたさやかさんは、とても生き生きとしていて楽しそうで、「今はこんな時代なんだ」とバックパッカーの旅行記を羨ましくも思いました。※さやかさんの mixi日記は、さやかさんのブログに引き継がれています。
エチオピアの施設でボランティアをしている日記を読んだときは、「もし自分の娘がこんな毎日を過ごしていたら心配でたまらない!」と、会ったこともないのに母親目線でハラハラし、「早くアフリカを出て安全な日本に戻って、仕事に生きがいを感じたり、家族や友達と笑いあったり、おいしいものを食べたり、恋をしたりして、人のためじゃなく自分自身の幸せを求めて欲しい」と思いました。
2007年
モザンビークの首都から2000キロも離れたリシンガで、乗るはずの列車が一週間も来なくて、食事を求めて歩いた町でさやかさんが目にしたのは、内戦が終わったばかりで傷付き続けた女性たち、舗装されていない道を朝早くから水を求めてさまようボロボロの服を着た裸足の子たちで、さやかさんは人生について考えたようです。
2008年
さやかさんはアフリカを巡るバックパッカーの旅を続けます。「この旅が終わったら、アメリカ大陸に移動するのだろう」と私は希望を込めて思っていました。
この頃だったと思います。お父さんから「娘がデジカメを盗まれた。データが無くなってしまうのを防ぐために、WEBに保存する方法を教えて欲しい」と訊ねられたのをきっかけに、さやかさんと直接メールのやり取りをするようになりました。まだ LINE も Skype もないメガバイトの時代だったので、たくさんの写真を保存するために Yahoo!ボックス(ネット上に保管できるスペース)をいくつも作りました。
2009年
リシンガに戻ったさやかさんは、現地で活動するために家まで借りてしまいました。そして、外国人だからと石を投げられることもあり、襲われるかもしれない恐怖や、夜中のピストルの音に怯える毎日の中、仲間だと思った人に裏切られたこともありました。
そんな話を聞くたびに「さやかさんが日本に帰るチャンスで、アフリカから離れることが最善だ!」と思いました。それなのに、さやかさんがリシンガに残り頑張り続けることを選択した時は、正直なところ残念に思いました。でもそれは「彼女のことを思っているようで本当は私が辛い」という、自分自身のエゴだったと思います。
当時のさやかさんは「無事に朝を迎えることができただけでも幸せ」と感じながら、日々活動を続けていました。「誰かに依頼されたわけではない、すべて自己責任です」、「とても親不孝をしていると思います」、「殺されてブッシュに捨てられるのかもしれないけれど、遺体を日本に運ぶ事など考えずに現地に埋葬してもらいます」と言っていました。
私はさやかさんが、そこまでの覚悟を持って現地にとどまっていることを知り、「お金が尽きるか、ひどく傷つくか、志を果たすまでは日本に戻ることはないのかもしれないな」と考えるようになりました。そして彼女を応援することにしました。
2011年
さやかさんの mixi日記をまとめた著書《なんにもないけどやってみた》が、岩波ジュニア新書より出版されました。
2012年
読売テレビ《グッと!地球便》に出演、そしてモザンビーク国立医療技術士学校に入学しました。エチオピアにいる時から考えてきた、「医療に携わる仕事をしたい」という夢を叶える喜ばしい行動だけれど、医療学校の課題は想像以上に厳しく、お米や牛乳さえも贅沢だと節約していたさやかさんが、勉強のために睡眠時間まで削るようになりました。
2013年
テレビ東京《海を越えた家族愛》に出演。それを見たさやかさんの母校「池新田高校」の同窓生が、同窓会としても支援しようと《さやかさんを応援する会》を立ち上げ、活動費のみならず生活費をも支援したいと考え、募金活動などを開始しました。当時は、富裕層の子供に英語を教えるアルバイトも辞め生活はギリギリでした。
2014年
モザンビーク医療技術師国家試験にトップの成績で合格し、約9年ぶりに日本へ里帰りしてくれました。さやかさんと一緒に公民館や地元の学校の講演会にも行きましたが、はじめて会ったさやかさんは、想像していた逞しさはなく、優しくておとなしい女性だったので、「アフリカで活動するパワーがどこにあるのだろう?」と驚きました。
2015年
金の星社《ひとりではじめたアフリカボランティア》が出版され、社会貢献支援財団の《社会貢献者表彰》受賞で2度目の一時帰国をしました。さやかさんは「表彰式に両親を招待して少しは親孝行できたのかもしれない!」と喜んでいました。
2016年
地元で応援してくださる野中さんとアトムさんのご協力により、日本で購入したワゴン車《リツアン号》を現地で受け取ることができ、危険な場所でも安心して移動できるようになりました。さらにオランダからサポートに来てくれた男性と結婚し、ずっと誰かのためだけに生きていたさやかさんが、自分の生活も大事にしてくれるようになったことは、とても嬉しかったです。
2017年
出産のためスペインに移動し女の子が生まれ3人家族になりました。
2018年
初めて赤ちゃんを連れて里帰りし、日本でNPOを設立することもできました。
現在はスペインで子育てをしながら、毎日現地のスタッフと連絡を取り合い、活動費の管理をし、NPOに関する準備にも追われて、日々やらなくてはいけないことがたくさんあります。また現地と離れているために気をもむことも多く、「さやかさんは毎日忙しくて心が休まるときがないなぁ」と心配しながらも、私は彼女を応援しつつ見守っています。
今後もビザの継続申請と、現地の様子を自分の目で確かめたいという責任感もあり、少なくとも半年に一度は現地に赴く必要がありますが、さやかさんには体力の衰えなども加味しながら、できるだけ安定した生活を送ってほしいと願っています。
長文になってしまいましたがお読みいただきありがとうございます。
さやかさんを応援する会 河田広美
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さやかさんのブログが更新されました。
さやかさんの口から出る名前で一番多いのが「ルーシアさん」です。
ルーシアさんは日本人のような心を持っているそうで、さやかさんが心から信頼しているのがよくわかりアシャンテママにとって とても大切な人です。
ルーシアさんがいつまでも元気でいて欲しいと思うのと同時に、ルーシアさんのように信頼できるスタッフがたくさんいれば、さやかさんの負担が少なくなるのになと思います。
ルーシアさんと
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さやかさんのブログが更新されました
◆ パオリーノのお父さん
◆ 休まずに通っていた女の子
◆ アジャラ
◆ プラスチックの椅子
◆ 兄弟の子守り
さやかさんは26歳で日本を離れてから、60ヶ国以上を旅してモザンビークに住むようになり
日本では普通に思っていたことが当り前ではなく、すごく幸せなことだったと実感しました。
それは
家族がいる
毎日ご飯を食べることができる。
布団の上で眠ることができる。
家に電気や水道がきている。
戸籍があり学校で勉強することが出来る
道路は舗装されていて、履く靴がある
夜でも襲われる心配をしないで外出できる。
急病の時に救急車が来てくれる
火事になったら消防車が消してくれる
事件があったら警察が犯人を捜してくれる
他にもたくさんあります。
インドとエチオピアでボランティアとして働いて、
若くして亡くなるたくさんの人を看取ったさやかさんは
日本で生まれて25歳まで過ごしたことは、
すでに一生分の幸せを手に入れたように思えて
自分はまだ生きていて、残された時間があるのなら、
その時間を困っている人に使うのもいいんじゃないかと思い、
20代でアシャンテママを立ち上げました。
さらに さやかさんは
医師不足で十分な治療を受けることなく亡くなってしまう人がたくさんいることが悲しく
病気のことを学びたくて また、一人でも多くの命を救いたくて
モザンビーク政府の医療学校で必死に勉強して
医師の代わりに診察や治療のできる「医療技術師」の資格を取得しました。
母となった今でも
「お給料をもらわなければ、短期間の病院勤務が可能だからモザンビークの病院で働きたい」
という実現するのは難しい夢を持っています。
皆様から頂いた寄付は勉強や食事だけでなく、
子供たちや家族が病気になったときの医療費にも使わせていただいています。
年を越すといつも
「昨年はアシャンテママの子供たちで亡くなる子が一人もいなかった」
と嬉しそうに報告してくれるさやかさんです
それは、ご寄付を下さる皆様と、ルーシアさんたちスタッフの努力のお陰です。
亡くなってしまう子がいる年もありますが、
アシャンテママのお陰で救われている命もたくさんあります。
ご協力ありがとうございます。
ルーシアちゃんと、パオリーノ君のお父さんのご冥福をお祈りします
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モザンビークとマラウィの3つあるアシャンテママでは
両親または片親がいなくて親戚に預けられたり
今日食べるものもなく水を飲んで我慢しているような
厳しい環境にいる子を家庭訪問して事情を確認し
相談しながら随時受け入れています。
お母さんが亡くなってしまい幼い弟や妹を連れて通う子もたくさんいます。
休み時間にはおむつを替えたり大変ですが
そんな子供たちにとってアシャンテママは大切な居場所になっています
◆ 兄弟の子守り
現地で起こる個人の力ではどうすることもできない出来事に
さやかさん自身が葛藤や罪悪感を抱えてしまいますが
さやかさんが現地スタッフとコミュニケーションをとることで
皆様から頂いたご寄付を
現地の教育や食事などに使うことができます。
それを継続するためには、
さやかさん自身が安全な場所で健康に生きることは
大切なことだと思います。
日本にいても不公平を感じることはあります。
正論だけでは解決できない問題もたくさんあります。
平成27年度の社会貢献者として
さやかさんと一緒に表彰された広島県の中本忠子さんは
昭和55年から保護司として活動している時に、
空腹が子供を非行に走らせる大きな要因だと気づき
社会の片隅で誰からの助けもなく
万引き等で何とか生きてきた少年たちを
自宅に招いて食事を提供し続けています。
モザンビークでも
誰もがお腹いっぱい食べることができたら
犯罪は減らせるのかもしれないけれど、
収入を得る仕事や、耕せる畑がない現状では難しいです。
それでも、さやかさんの活動を通じて
子供たちが未来に希望を持てるための教育援助を
続けることができたら嬉しいです。
今後も皆様のご支援をお願いいたします。
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9月後半、栗山さやかさんはモザンビークとマラウィのアシャンテママ短期視察を行いました。今年の3月に続いて2回目の出張で、今回は約2週間の滞在となりました。
スペインからヨハネスブルクを経由しマラウィまでは空路、そこからはビザの問題や運賃が安いこともあり、陸路でモザンビークのリシンガへアクセスしました。空路トランジットでスーツケースが紛失する(帰国時に受け取れました)トラブルに見舞われましたが、最も心配されていた厳しい陸路ルートは特に問題なくてよかったです。現地視察の様子はブログに記録されています。
帰国後の報告によると、現在アシャンテママの教室には、モザンビーク394人、マラウィ170人、合計564人もの子供たちが通っているそうです。
隣国同士のモザンビークとマラウィを比較すると、モザンビークの現状は相変わらず厳しいようです。モザンビークは内戦に苦しんだという歴史の違いもあるので、単純には比較できませんが、少しずつでも状況が良くなっていって欲しいものです。
◆ マラウィの素晴らしいところ
◆ 蚊帳の購入
モザンビークのアシャンテママでも、貧しい女性達の大事な仕事場である畑の土地が、無法者に不法占領されてしまうという、大きなトラブルが発生しています。
9月末、さやかさんはモザンビーク視察から無事戻りましたが、現地での悔しく悲しい体験により、気持ちが落ち込んでいるようでした。「ブログの内容が暗くなってしまった」と嘆いていましたが、現状を多くの方に読んで頂けたらと思います。
さやかさんの活動を応援する主旨で、7月からアシャンテママのインスタグラムを開始しています。アシャンテママ日本支部(応援会メンバー含む)で管理・更新しております。さやかさんご自身がアップすることもあります。よろしくお願い申し上げます。
とても温かく嬉しいお知らせを最後に。さやかさんを応援してくださっている埼玉県の越谷小学校の皆さまより、アシャンテママへ募金をしていただきました!
モザンビークのアシャンテママの子供達(二つ目の学校)
マラウィのアシャンテママの子供達(校舎の前にて)
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さやかさんは8月17日に日本を出発し、現在はスペインの町に無事到着しています。
日本より涼しいようで、さやかさんもお子さんも元気です!
スペインでアパートを借りましたが、インターネットの接続状況があまり良くなく、
しばらくブログの更新ができない状態が続いていました。
そんななか先日、ようやくブログがアップされました。
さやかさんのブログに沢山掲載されている、
マラウィの子供たちが、鶏のおかずとお米のご飯を食べている写真は、
さやかさんが3月のマラウィ視察で撮影したものです。
お肉はマラウィでもモザンビークでもとても貴重な食材で、
アシャンテママに通う子供たちは、普段めったに食べられません。
でもみんなお肉は大好きで、とても嬉しそうです。
美味しいご飯を食べて、こんなに素敵な笑顔になれるなんて、
とても素晴らしいことですね!
子供たちのとても幸せそうな笑顔に癒されます。
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栗山さやかさんのブログが更新されました。
日本では任意団体として活動してきたアシャンテママですが、先日NPO団体としての登録申請を行いました。昨日のブログには、さやかさんからの報告と、アシャンテママを設立した当時から現在のこと、そして未来への希望が書かれています。ぜひ多くの方に読んでもらたい内容です。
以下はさやかさんのブログから一部抜粋です:
「特にモザンビーク北部に住む子供たちを囲む環境は厳しく、
活動を始めたばかりの頃は、日々起こる悲しい出来事に対して、
人間の闇、絶望のようなものを感じてしまうことも、よくありました。」
「でも今は、アシャンテママの教室で勉強している子供たちには、
勉強だけではなく、人を思いやる気持ちや、素敵な笑顔があり、
私はそこに、子供たちみんなの明るい未来を見ることができます。」
2009年にアシャンテママを始めたばかりの頃(モザンビーク)
現在は2か国3か所で532人もの子供たちを支援(マラウィのアシャンテママ)
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一時帰国中のさやかさんは、ご自宅で育児と家事に奮闘しながら、
たくさんのブログを書かれていて、現地の状況を報告しています。
そのなかでも、27日の記事に注目しました。
これを読んで、日々の良い行為の積み重ねが、
いつしか喜びにつながるのだな、と感じました。
これからも現地(特にモザンビーク)では厳しい出来事が続くとは思いますが、
少しずつ良くなっていくような予感がします。
その他にも、たくさんの記事がアップされています。
古くなったおトイレを立て直すことになりました。
おトイレの解体を子供たちがやりました!
◆車椅子の修理
幼い頃にポリオを患った女の子。
車椅子を修理してまた学校に通えるようになりました!
◆休まず通った子へのプレミオのお洋服の写真
ご支援ありがとうございます!
◆子供たちの将来の夢
以前は全然答えられなかった子供たちが、
将来の夢を語れるようになりました!
◆アシャンテママ会計報告
2016年〜2017年の会計報告になります。
3月の現地視察のときの写真
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西日本豪雨災害で、亡くなられた方々にお悔やみ申し上げますとともに、
被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
さやかさんは用事があり赤ちゃんを連れて一時帰国しています。
家事や用事をしながらもブログをアップしてくれました。
西日本豪雨お見舞い申し上げます。(4万人のボランティアの記事)
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久しぶりのブログになってしまいました。
さやかさんは子育てしながら
移動が多く忙しい日々を過ごしていますが元気です(^^)
先日から日本に一時帰国しています。
7月9日(月曜日)13時30分ごろに4分ぐらい
親友のこと、協会の様子などが
日本テレビの番組で放送されます。
どうぞご覧くださいね。
さやかさんのブログ
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3ヶ月もあると思っていたのに
過ぎてみるとあっという間でした。
さやかさんのブログです。
4月26日には
池新田高校からの依頼で講演会をしました。
体調を崩すことも多い中
子育てをしながら毎日のように言い続けていたのは
「会計簿を完成させなくては」でしたが
応援会メンバー武藤さんが協力してくださり
完成まであと少しになりました。
応援して下さる皆様と直接お会いできる機会を設けたかったし
他にも心残りはたくさんあるのですが
時間が足りなかったです。
ごめんなさい。
さやかさんは
今後もアシャンテママの活動を継続します。
アフリカの子供たちや女性たにとって
さやかさんの家族にとって
さやかさん自身の夢である医師として働くことも含めて
何が最善で幸せな方法なのか考えながら
これからも歩んでいくと思うので
暖かい目で見守っていただけると嬉しいです。
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日本を発つ直前のゴールデンウィークに、栗山さやかさんはアシャンテママの会計報告書の作成に追われていました。モザンビークの情勢悪化や出産と子育てなどで、会計報告書作業が2年分滞っており、「なんとか日本滞在中に仕上げたい!」と毎日呪文のように繰り返していました。
しかし実家で子供の面倒を見ながらだと、細かい作業になかなか集中できません。このままでは終わらない!そこで応援会メンバーで相談して、「お子さんをご両親に託して、約一週間のゴールデンウィーク合宿を行い、会計報告書を一気に仕上げよう!」という作戦に出ました。
合宿場所は私(HP管理人)の自宅兼用オフィスを提供、合宿参加者は私の妻を含めた3名、それに遠隔メンバー2名。お互い信頼関係を持って協力し進めましたが、現場はかなり厳しい戦場と化し、約1週間、睡眠時間を削り、食事以外はほぼ完全に資料とパソコンとのにらめっこでした。
私はモザンビーク勉強小屋の支出を担当しました。主な作業は、膨大な数に上る領収書と出納帳のチェックですが、全てポルトガル語なので一筋縄ではいきません。また現地スタッフが手書きで記入した出納帳をこのたび初めて見ましたが、その内容があまりに細かいことに正直驚きました。大げさではなく本当に「卵1個」の支出から仔細に書き込まれているのです!
さやかさんは「ご支援頂いている皆様から頂いた貴重な寄付金なので、細かく管理するのは当然です!たった1メティカル(モザンビークの通貨)の間違いもあってはいけないんです!」という厳しい発言、身が引き締まる思いで合宿に臨みました。
現地スタッフによりポルトガル語で細かく記入されたモザンビーク勉強小屋の出納帳。
左が出納帳、右が領収書で、例えば黄色の部分には「お米、油、葉野菜、トマト、玉葱...」と購入品目が記載され、その単価、購入数などが細かく記録されています。日本のようにレシートが渡される習慣はほとんどないので、用意した領収書を店員に記入してもらう、という徹底ぶり。書いてもらえないこともありますが、基本的に300メティカル以上の出費には領収書必須、と決めているそうです。(サンプルとして最新の2018年2月分の勉強小屋の出納帳を提示)
さやかさんは、合宿の合間に都内の企業を訪問して活動PRを行ったり、埼玉の小学校で講演会もこなすというハードスケジュールでしたが、終盤には何とか目処を付けることができました。あとは会計の知識も豊富なメンバー、応援会代表の河田さんとの仕上げ作業を残すのみで、さやかさんのブログで会計報告書が掲載される日もそう遠くないと思います。
ちなみにもうひとりのメンバーは、オンライン会計記録システムを立ち上げた、スペイン在住のさやかさんの旦那様です。今回、ビデオチャットで初めて挨拶しましたが、とても優しそうな雰囲気で話し方がなんとも穏やか!さやかさんにどんな人か尋ねると、「アンドレスはもの静かで全く怒ったりしないし、いつもポーっと物思いにふけったりしてますよ〜」とおもしろ可笑しく答えてくれました。
また、さやかさんが現地スタッフのルーシアさん、フィロメーナさん、デルフィン君らと、悠長なポルトガル語で話す姿も興味深く、出納帳の書き方や領収書の管理について、厳しく追及する時などは、結構ドスが利いた口調でなかなか迫力がありました。「ミスしたら給料カットカット!っていつも言ってるですけど、みんな、私がホントにカットしないの知ってるから、あんまり効果ないんですよね〜 でもこれからはもっと厳しくしなくちゃ!」と話す言葉に、厳しさの中にも優しさが滲み出ていて、微笑ましいな〜と感じました。
さやかさんの指示のもと、会計資料の整理作業に真剣に取り組む現地スタッフたち
(さやかさんが先日モザンビークを視察したときに撮影)
自宅兼用の狭いオフィスで書類の束に埋もれるさやかさんと私。
3台のパソコン、2台のスマホを駆使しました!
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さやかさんのブログが更新されました。
さやかさんがモザンビークを離れていても
アシャンテママはルーシアさんたちがしっかりと守ってくれています。
さやかさんがいない間にも
アシャンテママに通いたいという子はたくさんいます。
両親がいなくて親せきに預けられている子
お父さんがいなくてお母さんも病気の子
障害があって政府の学校に通えない子
そういう子のお宅をルーシアさんが訪問し
「この子はアシャンテママに入れてあげたい」と判断して
さやかさんが許可した子を登録しています。
さやかさんが先月アフリカに行ったときに
3ヶ所ある勉強小屋で生徒の数を調べたら
全員で500人以上の子供たちがいました。
ノートや鉛筆、お昼ご飯など
子供が増えると費用も増えてしまいますが
ルーシアさんは さやかさんの超ケチケチな節約ぶりを見ているので
「もったいない もったいない」と言って
1円でも無駄使いしないように気を使ってくれていて
皆様から頂いた寄付金で運営を続けられています。
ご支援をありがとうございます。
お父さんが行方不明で、お母さんも死んでしまって
親せきに預けられながら
アシャンテママに通っている5歳の女の子
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静岡のご両親に赤ちゃんを預け
成田空港からマラウィまでは飛行機を乗り継ぎ
マラウィからモザンビークへは車を乗り継ぎ電車も利用して
移動にかなりの時間と体力を費やしました。
現地ではトイレの修繕や書類関係に時間がかかり
計画していたことがあまりできなかったと残念がっていましたが
私の願いは「無事に日本に戻ってくること」だったので
ミッションは十分に達成されました
現地では写真やビデオをたくさん撮ってきてくれました。
整理してホームページにアップするので楽しみにしてください。
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《お花見散歩と親睦会》ですが
さやかさんの風邪がまだ治らず咳が出ます。
出席して下さる方に風邪をうつしては申し訳ないという判断で
どちらも中止とさせていただきます。
親睦会参加の方にはご連絡済ですが
一緒にお花見したいなと思った方がいらしたらごめんなさい。
さやかさんが元気になったら改めて計画致しますので
よろしくお願いいたします。
さやかさんを応援する会 河田
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さやかさんは23日の夜、
約3週間にわたるモザンビークとマラウィ視察の旅を終え、
無事に日本に戻ってきました!
アフリカ到着から出国間際まで、体力も精神力も酷使したので、
自宅に戻った途端、安心感から急に疲れが出たようです。
週末の《お花見散歩と親睦会》には、
元気で皆さんにお会いできるように、
少しのんびりと過ごして欲しいです。
掛川城の桜は満開です。
お天気も良さそうなので楽しみです!
さやかさんがモザンビークに住んでから、
誕生日はいつも独りで過ごしていましたが、
先日の3月18日の誕生日は、ビザの関係もあり、
ルーシアさんたちと一緒に国境を超えてマラウィに出国、
安宿ですが、孤独ではない夜を過ごしました。
本人は誕生日のことも忘れていたようだし、
バースデーケーキはもちろん、ご馳走すらありませんでしたが、
生まれて初めて電車に乗り大きな河を見て違う国で宿泊できて大喜びの
ルーシアさんたちと共に過ごし、
思い出に残る幸せな日を過ごすことが出来ました!
さやかさんとルーシアさん(モザンビーク)
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ご両親の理解があって
さやかさんは赤ちゃんを預けてモザンビークに行きました。
日本から飛行機を乗り継いでマラウィまで20時間以上
マラウィの空港から国境までの260キロの移動
国境から45キロのでこぼこ道を2時間半
そして、電車で5時間半かけて
無事到着することができました。
乗り換えの待ち時間があるので
日本出発から村に到着するまでは3日以上かかりましたが
さやかさんも子どもたちも元気です。
18日の電車でマラウィに向かい
マラウィの勉強小屋の子供たちに会い
21日の飛行機で日本に戻ってくる予定です。
]]>《お花見散歩と親睦会》について
お花見散歩は参加費無料
15時から16時50分くらいまで掛川城にいます。
掛川城HP
http://kakegawajo.com/
お時間のある方は
掛川城に登ったり
ステンドグラス美術館で芸術を感じたり
二の丸茶室でお茶をいただくこともできます。
ついでに観光もしたいという方は
掛川花鳥園がおすすめです。
(掛川駅から800m)
親睦会の会場は
掛川城近くの料理が美味しい洋風居酒屋を予定しています。
料理+飲み放題込みで5,000円です。
お席を確保するため
ご出席くださる方は3月10日までに
河田まで連絡をお願いします。
連絡先等は昨日のブログでご確認ください。
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さやかさんは2週間ちょっと日本に滞在して
2月28日の便でアフリカ・マラウィに出発しました。
日本食が食べたいと言っていたさやかさん
「納豆が美味しくて一度に2パック食べてしまいました」
「日本に来て太っちゃいました」
と笑っていました
さやかさんは3月22日に帰国する予定なので
1週間後の3月31日(土曜日)に
さやかさんを応援する会 お花見散歩と親睦会
を計画しました。
ご支援下さっている皆様に
さやかさんから直接お礼を伝える機会でもありますので
ご参加いただけると嬉しいです
<開催日>
3月31日(土曜日)
<時間>
15時〜 掛川城の桜を見ながら散歩
17時〜 親睦会
<会費>
お花見散歩 無料
親睦会 飲み放題付5000円
<出席して下さる方へ>
3月10日までに河田まで連絡をお願いします。
? 参加について
・ お花見散歩のみ
・ 親睦会のみ
・ 両方参加
? お名前
? ご住所 または お住まいの地域
? 当日連絡が取れる電話番号
<連絡先>
さやかさんを応援する会 河田広美
・ メール hiromi4870@hotmail.com
・ 電話 090-5865-1897
<お願い>
電話で連絡の場合にはショートメールで送って下さい。
(メモが取れない場合があります)
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一時帰国した栗山さやかさん、応援会代表の河田さんと共に、応援会のホームページについて、さやかさんの故郷の御前崎で初めて全員で打ち合わせることができました。
結果、サムネイル表示のままになっていた各ページの写真は、クリックで拡大して閲覧できるようになり、また写真の下にはキャプションを付しました。それから、さやかさんも写っているマラウィの写真を、何枚か追加掲載しました。これらは全て《さやかさんの活動》ページからリンクしておりますが、更新した各ページは以下の通りです。
さやかさんは昨日の晩、成田空港からエチオピア経由マラウィへ旅立ちました。週末には陸路でモザンビークに入国し、約3週間現地を視察した後、再び御前崎に戻る予定です。さやかさんが無事戻って来ることができるよう、祈ります!
久しぶりに御前崎の海岸を散策するさやかさん
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ご主人はスペインで就職したばかりで一緒にはこれないため
一人で赤ちゃんを連れて飛行機を乗り継いでの帰国は大変だからと
さやかさんのお父さんがスペインまで迎えに行きました。
お父さんがスペイン滞在中には
観光案内もして たくさん親孝行ができたようです。
さやかさんは今後 子育てをしながらも
アシャンテママの活動は継続するそうで
アフリカと スペインと 日本
どんな生活パターンが一番いいのかゆっくりと考えてほしいです。
>いつもアシャンテママをご支援してくださっている皆様に
>お会いできるご機会があれば嬉しく思います。
4月くらいにそういう機会が持てたらいいなと考え
ご参加下さる人数を把握して会場を検討したいと思います。
応援して下さっている方でも
連絡先が分からない方がたくさんいらっしゃいます。
差し障りなければ、ご住所とお名前とお電話番号を
「応援会事務局の河田」までご連絡いただけると嬉しいです。
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とても残念な出来事です。
騙す
裏切る
盗む
殺す
失業率が7割といわれる地で国からの補助もなく
生きるためにはそれしか思いつかない人たち
人を信じる心が芽生える機会もなく大人になってしまい
就労の機会を与えても裏切る人に
個人の力で戦うことなどできません。
アシャンテママに通っている子供たちが
勉強しながら
人を信じ
感謝できる
優しい大人になることが
さやかさんの幸せに繋がっていますね。
さやかさんは今 スペインの田舎町にいます。
初産なのに日本に戻ることができず
日本の食材は手に入らず
さやかさんの身体を案じる私に
「モザンビークに比べたら安全で天国のようです」という返事
屋根のある家に暮らし
寒ければ羽織る上着があり
家族と過ごし
友人とも会い
美味しいものをお腹いっぱい食べることができ
病気になれば治療を受けることができ
命の危険に怯えることもなく
夜でも一人で出かけることができ
コンビニは24時間空いていて
そんな日本に生まれ過ごしていることを
「天国のようで幸せだ」と
さやかさんのように謙虚な気持ちになれたら
毎日が超ハッピーですが・・・なかなか
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アシャンテママがある地域では
ありえない!と叫んでしまいそうなことが起こります。
見張りの男性を責めただけでは解決できない悲しい現実です。
現地では、たった一人で子供を育てている女性がたくさんいます。
その理由は
夫が病気で死んでしまった
夫が殺されてしまった
夫が逃げてしまった
(一夫多妻制だがすべての妻や子供を養う力がない)
レイプされて子供ができた
娘夫婦が死んでしまい孫を育てている
などです。
常に空腹で今日食べるものがない
仕事がない
耕す農地がない
教育を受けたことがなく現地語しか話せない
病気やケガや飢えで我が子が何人も死んでしまう
強盗やレイプやもめ事も多く、簡単に人が殺される
家族にも裏切られてしまう
黒魔術を信じ誰かに呪われる恐怖
そんな 絶望している女性たちのために
安心できる居場所として
さやかさんはアシャンテママを立ち上げました。
衛生、栄養、病気についての勉強会をし
土地を開墾し野菜を作ったり
編み物やミシンを教えたり
ヤギや豚を飼育するプロジェクトもしています。
現在は子供たちの教育がメインになっています。
戸籍がなく、母親しかいない子や、両親とも死んでしまい親せきに預けられている子供たちが
現在と将来に少しでも希望が持てるようにと、家庭環境の悪い子から順に登録をしています。
子供達は戸籍を取得できました。
公用語を書き、計算もできるようになりました。
給食を出し栄養失調で死ぬことがなくなりました。
プレミオでサンダルを渡すことができ破傷風で死ぬことがなくなりました。
井戸を掘り、遠くまで行く水汲みから解放されました。
きれいな水を飲めるのでお腹を壊して死ぬことがなくなりました。
臓器売買が目的で誘拐されても戻ってくることができました。
子守をしながら楽しみに通ってくる子もいます。
アシャンテママの活動で現地の女性や子供たちの役に立てたことはたくさんあります。
それでも、さやかさんは足りないところに目が行き
無力さや罪悪感を感じたり
自分自身の幸せを後回しにしがちです。
パートナーの言葉を聞いたさやかさんが
「みんなが安全であり子供たちが勉強を続けることが出来ていれば。。」と
少しだけでも思えるようなって嬉しいです。
皆様の寄付で運営を続けることができています。
いつもご支援をありがとうございます。
]]>遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
さやかさんのブログが更新されました
さやかさんが運営している教室は、
モザンビークに2校、マラウィに1校あり
合計522名の子供たちが通って
公用語のポルトガル語や計算などの勉強をしたり、
空腹の子供たちがおなか一杯食べられるように
お昼ご飯を出しています。
この活動は
支援してくださっている皆様のおかげで継続できています。
ありがとうございます。
本年度もどうぞよろしくお願い致します。
養豚プロジェクトを開始したのは2015年です。
なかなか子豚の繁殖ができずにいましたが
今は全部で20匹に増えました。
餌はバナナの葉っぱだけでは足りず購入します。
強盗に襲われ盗まれるかもしれない
見張りの子が豚を盗んで売ってしまうかもしれない
見張りの子が殺されるかもしれない
養豚プロジェクトを開始したころから、
いろいろ心配していましたが
子豚が成長して売ることができれば、
自立への道が開けるという希望がありました。
でも、やはり心配が現実になり
現地から毎日届く 嬉しいこと以上に起こる悲しい報告に
さやかさんは出産前も、赤ちゃんが生まれてからも胸を痛めています。
いっそのこと、養豚プロジェクトを諦めて、
子どもたちの勉強小屋だけにするのがいいんじゃないかなとアドバイスしました。
ありがたいことに
さやかさんの結婚と出産の報告のあとにも
皆様からご寄付が届いています。
今は自立の道を探すよりも
皆様の善意に感謝して、今まで通りの運営を続けるのがいいと私(河田)は考えています。
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「さやかさんの活動」の2017年度の項目に、下記の二件を新規で追加いたしました。
また応援募金お振込方法の一部改定に伴い、「応援募金について」のページを更新いたしました。お振込みいただく際に、今一度ご確認いただきたくお願い申し上げます。
それから「さやかさんの活動」各ページのサムネイル写真の拡大表示の多くは、目下準備中となっております。河田さん、さやかさんとホームページの詳細について打ち合わせる時間がなかなか取れておらず、公開までもうしばらく時間がかかりそうです。
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さやかさんがモザンビークとマラウィで運営している協会
アシャンテ・ママが
たゆまぬ日々のボランティア活動とその成果は他の範となるものであると認められ
ソロプチミスト日本財団の《社会ボランティア賞》を受賞しました。
ソロプチミスト日本財団は
日本中で老若男女を問わず
世の中の光や塩となって
ボランティア活動に励んでおられる方々を支援する
という使命を持たれた公益財団法人です。
SI山梨‐芙蓉の皆様が推薦してくださり、
受賞することができました。
心より感謝申し上げます。
贈呈式は11月17日(金曜日)
パシフィコ横浜 国立大ホールであり
さやかさんの代理で河田が出席してきました。
副賞として20万円をいただけました。
さやかさんは恐縮しつつ大変喜んで
藁で作った2つ目の勉強小屋が
風雨でボロボロになってしまったので
レンガの小屋に立て直す資金に
使わせていただきたいと言っていました。
SI山梨‐芙蓉の皆様
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出産後1ヶ月が過ぎ
さやかさんのブログが更新されました。
母乳が足りない分はミルクをあげて
彼と一緒にスペインで子育てをしています。
さやかさんのお母さんも
「危険な場所で、栄養も取れずに、つわりもひどかったから
無事に産まれるのか、ちゃんと育つのか心配だったけれど
1ヶ月たってようやく安心した」と喜んでいました。
モザンビークとマラウィの勉強小屋とは
携帯電話で連絡をとりあって運営を継続しています。
大金を預けておくと持ち逃げの危険があるので
お給料や運営費は必要な金額を送金しています。
子育てと勉強小屋の運営の両立は大変ですが
彼のサポートもあり順調のようです。
アシャンテママは皆様からいただくご寄付で運営が出来ています。
ご協力ありがとうございます。
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さやかさんのブログが更新されました。
とってもかわいい赤ちゃんですね♪
ひどいつわりが出産まで続き起き上がることもできず
パソコンの画面をみることもできない日々に
出産に耐えることが出来るのだろうかと心配しましたが
無事に生まれてくれて良かったです。
祈り を読んで一緒に祈ってくださった皆さま
本当にありがとうございます
>最近も協会で起こった問題や悲しい知らせを聞いて
>なんだか自分だけ抜け出してきてしまったような
>申し訳ない気持ちにもなります。
スペインで体調不良で寝込んでいても、
ルーシアさんたちと携帯電話で毎日のように連絡を取り、
悲しい知らせに落ち込んでいたさやかさんです。
「日本食は恋しいけれど、
モザンビークに比べたら安全で天国にいるみたい」と言い
モザンビークで厳しい生活を続ける女性たちを心配していました。
彼がいなかったら・・・・
内戦状態にならなければ・・・
赤ちゃんが出来なければ・・・
きっと、今もモザンビークを離れることはなかったでしょう。
さやかさんの幸せを天国で見守っているゆかさんたちのお蔭かもしれないなと思います。
これからも安全な場所で赤ちゃんを育てて欲しいです。
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さやかさんを応援する会便りを発行しました。
一年以内に寄付して下さった方で、
ご住所のわかる方に郵送させていただきました。
2〜3日たっても届かない方
寄付はしたけれど住所を連絡していなかったという方
差し障りなければ ご住所とお名前を
「応援会事務局の河田」までご連絡いただけると嬉しいです
お手数ですが送信の際
♣を@に変えてください(迷惑メール対策です)。
kawata♣sksa.main.jp
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さやかさんのブログが更新されました。
さやかさんは現在スペインの田舎町に住み 少しずつ体調を整えています。
モザンビークとマラウィの3つの教室
それぞれ携帯電話で連絡を取り合っていますが
ルーシアさんたちが写真を撮って送れるようになったみたいですね
勉強を教えくれる先生たちのお給料
勉強を頑張った子に送るノートや鉛筆(プレミオ)
お昼ごはんの材料費と、料理を作る女性のお給料など
皆様から頂いた寄付は現地でしっかりと活用されています。
ご協力ありがとうございます。
さやかさんが子供たちの笑顔に癒されているといいなと思います。
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2015年11月 さやかさんが社会貢献者表彰式出席のため帰国した際、
「友達がみんなママになっていました。
赤ちゃんは本当にかわいいです。
私もいつかママになりたいなって本気で思います」
と笑顔で言っていたさやかさん。
彼がモザンビークに来てくれると言った時に
私(河田)はとても安心して大賛成したのですが
さやかさんは「命の安全も保障できない場所に
仕事も辞めてまできてもらって、何かあったら彼のご家族に申し訳ない」
と長い間悩み決断できずにいました。
彼の強い意志でモザンビークに来てくれることになったのですが
モザンビーク大統領が大金を使い込んだことが発覚したことで
ヨーロッパからの援助を打ち切られ
財政困難で公務員の給与未払いなどが起きたことで
怒りの矛先は外国人に向かい
せっかく来てくれた彼の就労ビザは受理されず
彼は隣国マラウィ、さやかさんはモザンビークと離れて暮らすようになりました。
治安はますます悪く、外国人への差別は激しくなり
外出はとても危険で隠れるように過ごし
何年もずっと1人で頑張り続けたさやかさんですが
2人で過ごした後の1人になった恐怖と寂しさから
食べ物を受け付けず、夜も寝られなくなりました。
一日も早くモザンビークを出るように何度も言ったのですが
まだやらなくてはいけないことがたくさんあるからと
もう少し、もう少しと 出国の決断ができずにいました。
外国人がほとんどいなくなり現地の人たちからも危険だと忠告され
アシャンテママの運営にとって、さやかさんがいることがマイナスになるかもしれないと考え
ようやくモザンビークを離れる決断をしましたが
外国人は拘束される恐れがありバスでの移動は危険です。
リツアン号の運転を現地の信頼できる方にお願いして
ようやくマラウィに移動することができました。
リツアン号がなければどうなっていたことかと思います。
さやかさんはマラウィでもじっとしていることは出来ず
彼がリサーチしてくれた場所に新しい勉強小屋を作る準備を開始し
マラウィの勉強小屋が始められる頃
モザンビークの治安も少しは安定したことで
リツアン号で2つの国を行き来する生活になりました。
(彼はモザンビークには入国できないため1人です)
極度のストレスから
常に食べられず眠れず起き上がれず移動が困難な日々の中でも
「医療技術師として働くことも諦めきれない
こども達、女性たちを見捨てることはできない」と
役所での手続きに奔走し
子供たちの笑顔に癒されながら過ごしていた中
妊娠していることがわかり、吐き気にも苦しむ日々になりました。
モザンビークでの出産はリスクが高すぎるので
日本に帰国し出産に備えることを希望したのですが
彼の故郷スペインに移動する体力しか残っておらず
今は疲れ切った体を癒している状態です。
ルーシアさんたちに携帯電話を渡してあり
毎日のように報告連絡相談を受け、
アシャンテママの運営を続けています。
さやかさんの体調が良くなり
笑顔の日々を過ごし
元気に出産の日を迎え
赤ちゃんを連れて日本にも帰国できるように
皆様も一緒に祈っていただけると幸いです。
さやかさんを応援する会 河田
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応援会のホームページを公開しました。経済的かつ長期の運営をめざすため、ドメインの取得は断念し、レンタルサーバー会社のサブドメイン「sksa.main.jp」でスタートしました。「SKSA」は Sayaka Kuriyama Supporters' Association(栗山さやかさんを応援する会)の頭文字です。
タイトルロゴには、さやかさんの母校である池新田高校美術部の生徒さんによる、「さやかさんと子供たち」を描いた素敵なイラストを組み込んでみました。
メインコンテンツは《さやかさんの活動》です。さやかさんのこれまでの活動経歴を、最新の年から順番に見られるように掲載し、詳細内容や写真がある項目はリンク先を設けて閲覧できるようにしました。なおリンク先に掲載した写真に関しては、現在サムネイル表示にとどめてますが、さやかさんとキャプションなどを打ち合わせた後、拡大写真を表示できるようにする予定です。
《応援募金について》には、アシャンテママ口座とさやかさん口座を選んで送金できる方法を掲載しています。応援会代表の河田さんは、さやかさんと頻繁に連絡を取り合いながら、毎月さやかさんの元へ応援募金を送っています。そしてこの《応援会ブログ》には、さやかさんの近況や応援会の活動についてなど書いてくださいます。
ホームページの管理と更新は、私HP管理人が責任を持って実施します。河田さんとご相談しながら、今後も少しずつ改善を重ねていきたいと思ってます。
さやかさんは現在、少し体調が不安定な状況にありますが、このホームページが多少なりとも、さやかさんの活動のフォローになればいいなと、願っております。
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